本記事では早朝のトルファン中心街と日中〜夜間にかけて徘徊したウイグル族居住区のハイライトを記載する。
一つ前の記事(西安→トルファン鉄路移動編)はこちら。
トルファンの第一印象
北京時間午前6時過ぎ、真夜中のトルファン市街に到着。新疆ウイグル自治区の時間感覚はおよそ北京時間-2時間なので、4時くらいの感覚だと思ってよい。店は当然閉まっているし、街を歩いている人もいない。
街の中心となる交差点に位置する中国建設銀行の前には自走できないと思われる廃セダンが鎮座しており、退廃的なこの町のシンボル的存在となっていた。

街で最も大きい通り(高昌路)に面した商業施設のネオンも一部の文字が抜け落ちていた。铜锣湾というのは香港の地名だったような気もする。この商業施設にはERKEなど多くのスポーツショップが軒を連ねている。後で詳しく記述するが、これらのショップには本当に助けられることになる。

目抜き通り:高昌路沿いの探索
宿にチェックインした後、ひと眠りし、日が昇る直前の9時半頃に再度街へ繰り出した。
高昌路の交差点周辺は通勤・通学ラッシュの様相となっていた。12月末のトルファンは最低気温-20度まで冷えこむ。日本に住む私には、ユニクロの極暖ヒートテックという強い味方が存在し、これをいつでも必要な時に買えるという環境が如何に恵まれているかを実感した。


下記はウイグル人居住区での一コマ。最高気温は-5〜-10度ほどなので、15時前後になっても水たまりは凍結したままだった。

トルファンの街はプロパガンダ天国だ。各交差点ごとに共産党のスローガンが掲示されていた。上海などの都市部に多く掲げられている社会主義確信価値観のようなスローガンは少なく、民族の融和(和諧)を特に意識したスローガンが多いように見受けられた。



トルファンは地方五線都市として一般的な街並みであったが、一部では民族色の強い建築やスローガンなど特色の強い部分も見ることができた。
さらに伝統的な生活様式を観察すべく、ウイグル人居住エリアの探索に向かった。
ウイグル人居住エリアの探索
ウイグル人居住区とはどこか、といった点についてまずは説明したい。下記は百度地図で見たトルファンの航空写真である。真ん中やや下に斜めに交差した交差点が見える。この交差点を境に、街の南部に向かって明らかに建物の密度や色の異なるエリアがある。これがウイグル人居住区だ。

Youtube上で「観光地を調べるってダサいよな」という考えを唱える配信者がいたが、あながち間違っていないと思う。
結局旅を終えて記憶に残っているのは、地元住民の存在を強く感じられる、住宅地を徘徊した記憶だ。
ウイグル人居住エリアを3時間ほど探索した結果、彼らの住む住宅には以下の特徴があった。ここでは特徴について一つずつ触れていく。最後にも核が、特徴に対して考察を行うための基礎教養が不足しており、意味や意図のわからないものが多かったのが心残りだ。
この記事を読んでくださった人の中に、もし背景情報をご存知の方がいれば、ぜひ教えてほしい。
- 日干しレンガ+土壁
- バリエーションに富んだ+カラフルなドア
- 平安家庭ステッカー
- 玄関の絵
- 慣れない漢字
- 壁画
- 家族写真
日干しレンガ+土壁
トルファンの住宅地を探索すると、画像のようなレンガ造りの外壁に土を固めることでつくられた壁が主流となっていた。トルファンの住居で土壁が用られるのは、厳しい砂漠気候下で、夏は涼しく、冬は暖かく、加えて地産材を用いた安く省エネルギーな構造を実現するためらしい。(H. Bai, 2012, Key Engineering Materials)
日干しレンガで作られた高密度住宅によって、先程の航空写真のような見た目の違いが生まれていたのだ。

バリエーションに富んだ+カラフルなドア
中国人はドアにこだわるという話を以前テレビで見たことがあったが、ウイグル人もこだわるらしい。
決して舗装された美しいな道路でも外壁でもないが、どの外壁にも鮮やかな色のドアが嵌め込まれていた。

平安家庭ステッカー
トルファンのウイグル人居住地の軒先にはすべからく「平安家庭」と書かれた以下のステッカーが貼られてあった。後日帰国した後に調査したところ、「5つの予防」(人身売買防止、強盗防止、窃盗防止、隠れた危険防止、エイズ防止)と「7つの禁止」(薬物禁止、ギャンブル禁止、争議禁止、カルト禁止、暴力禁止、犯罪禁止、事故防止)を達成できる家庭が認定されているらしい。

玄関の絵
イスラム教徒の家庭であることを示すため、モスクや三日月、その他イスラム教に関連すると思われる絵が玄関ドアの上に掲げられていた。

慣れない漢字
ウイグル人の母語はウイグル語で、漢字・中国語は母語ではない。
店の軒先には、外国語として学んだ中国語の手書き看板で「商店」などの記載があった。漢字が母語でない人が書いたように見える。ウイグル族の苦労が垣間見えた。

壁画
最後は壁画です。ウイグル人居住区の外壁には結構な量の壁画があちこちに書かれていた。漢族っぽい人もいれば農作業をするウイグル族も書かれてる。意図・意味を理解できない部分が多かったのが心残りである。


家族写真
壁画と同様に、ウイグル人住居の壁には家族のようなグループの写真が掲げられていた。



トルファン住居編はここまで。重ねて申し上げるが、ウイグル人住居の謎について、背景情報をご存知の方がいればぜひ教えてほしい。
次の記事ではトルファンのグルメ及びファッションを紹介する。
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